いつでもいっしょに。her/世界に一つだけの彼女
映画について。
先日ピロちゃんと
her/世界に一つだけの彼女
という映画を見ました。
オフィシャルはこちらです↓
http://her.asmik-ace.co.jp/sp/
何の前知識もなくジャケットのみでレンタルしました。
ここ最近見た映画の、ルビースパークス と似ているのかな?と思いながら鑑賞。
近未来を舞台にしていることや、
それぞれのシーンでの色使い
透明感のある音楽
すてきだなーと思ったのですが、日常を描いているためか、テンポはあまり…でした。
そして、すごく主題を捉えにくく感じました。
どんな映画も、見終わってから頭を悩ませたり、どなたかのレビューを読んだりすることが楽しみなのですが
見終わった後、何かわたしもこの気持ちを経験したことがあるような…
という感覚があり、突き詰めていくと
わかりました。
あのプレイステーション用ゲームソフト
トロが出て行ってしまったとき、当時抱いた気持ちにそっくりでした。
言葉を覚えてくれる同居人とコミュニケーションをとることを楽しむゲーム。
シチュエーションとしては似ている…などと
大変お叱りを受けそうなことを書いているかもしれません……が、初めてどこでもいっしょをプレイした時、
わたしの好きなものや言葉どんどん覚え、なんの根拠もない好意を全力で寄せてくる
ポケットステーションの中のトロがあまりにも可愛く
ずっと(きっと厳密には自分が飽きるタイミングまで、自分のペースで)いっしょにいられると思っていました。
プレイしたことのある方はご存知かとは思いますが
トロは決められた日数が経過すると、「人間になるための旅」に出てしまいます。
その日は子供のわたしにとって唐突に訪れてしまいました。
あまりの悲しさに、学校の友達にもその気持ちを訴えて不思議な顔をされたことをよく覚えています。
「自分にとってぴったりのAI」
劇中にはそういった謳い文句が出てきます。
それはどんな意味だったのか
とある方のレビューで、なるほどと感じたのは
AIサマンサとのコミュニケーションを通じて、離婚協議中の妻との今までの関係を追体験して
ようやく彼自身の、妻に対する気持ちを表すことのできる言葉を取り戻す
というものでした。
ある意味でのセルフカウンセリングてあったのかもしれません。
同監督の映画
かいじゅうたちのいるところ についても
(こちらは言葉にあらわせないくらいに好きです。
いつか別の記事で触れたいと思います。)
抽象的な表現ではありますが、主人公マックスが自分の心のあちこちとの向き合いを
かいじゅうたちとのやりとりで現しているようにも感じられたことから
自分のこころを外から捉えて
代替え行為を踏まえながらも向き合い、立て直していくことが主題なのかなと感じられました。
現実の気持ちと向き合っていくために、仮想のものが必要であったのかも。
それが ぴったりのAI という言葉に表されていたのかもしれません。
共働きで当時不仲だった、両親の長女として育っていた子供のころのわたしにとって、
トロとのやりとりは、自分の心のための何かの代替え行為であったのかもしれません。
そんなことも考えた一本でした。